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~最初から読むのが大変な人へ~ こちらで記事をまとめてます
この場所も 思い入れがあって好きだけど。

最初から読む人には大変ということで、


まんまるnote

に修正しながら 記事を抜き出しています^^


遊びにきてねo(^-^o)(o^-^)o
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エネルギー的な同意と契約1

人が他者の叡智に触れるとき
愛と感謝をもってそれを行うこと
他者の人生に、人は干渉すべきではありません。
人が人になにかを与えることはできないのです。
たとえエネルギーを他者に与えたとして、
そのエネルギーはその人の人生を肩代わりして歩むことはできないのです。
大切なことは
そのエネルギーに触れたことによってその人自身のエネルギーが沸きあがること。
光は与ええられるものではなく
自ら湧き光らせるものなのです




「突然なにを言い出してるんだ(゚∀゚)!」 
という内容でスタートですが(苦笑) 上記↑は



普段人と接する時 私がいつも気をつけていることのひとつです


私たちは日常生活を行う中で、たくさんの人と出逢い時間を共有し、
喜びや楽しみを分かち合い
かけがえのない時間を過ごしています。

おそらく多くの人は、
生きてゆくなかで
人と人との繋がりは欠かせないものとなっているかと、思います。




続きを読む
egoismとsurrender
【サレンダー(surrender)】
降伏・降参・委ねる・明け渡し


【エゴイズム(egoism)】
利己主義-自己の利益を重視 他者の利益を軽視 無視する思考や行動の様式



破壊と創造は 双子のようなものかもしれません。


今日はsurrenderとegoismについて、過去の経験を交えながら書いてゆきたいと思います。






    どんなに力を尽くしても

  守ることには限界がある。

  自分を真に守れるのは己だけ。 

     己(自分の心)をみよ



かつて 私に執拗に投げかけられた ガイドの思念。


そして心と向き合い

まず辿り着いた場所
自我の崩壊。


そしてすべてを手放し
「私」を明け渡す決意と覚悟をした自分。

崇高なるもの、大いなるもの、生命の根源・・・・

そこに自分のすべてを委ね明け渡す。

自分の本来の場所に帰依する



14年前
私がこの問題とぶつかった時、簡単ではありませんでした。

それを選択するのには 結構な勇気と覚悟が必要でした。


自分で自分の人生コントロールを放棄するというのは、
良いも悪いもその一切の判断を放棄しニュートラルにし、
人生の全てを明け渡すことだということ

(もしこれ以上の貧乏になっちゃったら・・・)
(もしなにもかも失っちゃったら・・・)
(もし精神的な痛いことがやってきちゃったら・・・)

そんなことが真面目に不安で 真面目にこわくて。


今思えば、笑っちゃう話なのだけどね。
でもあの頃は、人生コントロールの一切を手放すのは 真剣にこわかった。


続きを読む
本の出版にむけて
ご無沙汰してます。

どなたかご覧なってくださってるでしょうか?(-∀-)

前回も書いたのですが、最近まんまるnoteにここの記事を抜いて移動させてます。

理由はいくつかあるのですが。

ひとつは、記事数も多くなり 
振り返りながらまとめたいと。

ひとつは、気持ちを改めたい

ひとつは、出版のお話をいただき
それに向けての掘り出し作業

そんなところです。


とはいえ、ここも好きな場所のひとつです。

こうして書いていると 当時の自分を思い出します。
なにより、たくさんの人に応援していただいたこと。このブログが本の出版へと繋がったこと。
本当に感謝です。

出版や取材のお話は、10年前から度々いただいていました。
けれども当時の私は、「変なお母さん」と子供たちに影響がいってしまう不安を拭えずに
お断りさせていただいていました。

その後シングルとなり
県外へと飛び出し 子供2人を育てるのに無我夢中の日々を送っていました。

離婚の心労から立ち上がる為に県外へと飛び出し、
そんな母親を信じ着いてきてくれた子供。
子供を守りたいと必死に働き 布団で眠ることもなかった数年間。
なんせ子供は私立学校進学という 働き甲斐を与えてくれたのでねヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3。

出張や始発出の終電帰り、はじめて経験することも沢山で はじめて触れる仕事ばかりでしたが、
たくさんの人に助けられた日々でした。

泣いても笑っても同じ一日なら”楽しんだもの勝ち!”
そんな気持ちで夢中で過ごし。
気づいたら 法人成りをしていました。

やがて子供は大学へと進学し 
世界ではコロナ騒動が起き、この数年で一番の時間的余裕が生まれ
本の執筆活動へとなりました。

思えば10代の頃から物書きになりたい願望があり、

それがこんな形で叶うとは、人生なにが起こるかわからないものです。


もうひとつ 
最近の変化として おばあちゃんになりました。
このブログ記事に馴染みある方はわかるかと思いますが、ばむ夫婦の子供です。

先日やっと初顔合わせでき、

あらためて「サレンダー」の美しさに 心奪われました。


赤ちゃんは 皆サレンダーですね。

それは最強の武器で 最強の信頼です

surrender⇐過去記事

【サレンダー(surrender)】
降伏・降参・委ねる・明け渡す行為


結婚し出産してからは主婦+子育てという、自分の大好きなことに没頭させてもらっていた自分。

シングルとなり新天地で一気に社会に出て、資本主義とぶつかりあうこととなった数年間。

基本働くことは好きですが、
反面現行の資本主義の限界性 矛盾もたくさん感じ葛藤しました。
心が壊れた時期もありました。


やがて訪れた 世界規模での軌道修正の波。

このブログに足を運んでくださる方は、少なからず精神世界・霊性・スピリチュアルといったキーワードの興味を抱いているのだと思うのですが。
一方で人間であることな日常生活を送っているはずです。
この両面を同居させる難しさを感じている方も、少なくないかもしれません。




ですが、この両面は同居可能なものです。


surrender


ここに大きな鍵が あるのかもしれません



いつも ありがとう


やはりこの場所も好きだわ☆
自分を知っていたひとたち3

前回過去記事は、10年位前の((¦3[___]ネカセスギッ)ものですが、
書いた時期は古くとも、書いてある内容は 今も適応できるものと思います。

少し前から起きている
ヨガや筋トレブームじゃないけれど、
そうした流行や ニーズ性の裏にも、霊の世界による霊的な作用も
無関係ではない・・・・と感じてもいます。



えっと、
ここからは前々回の お話の続きになります。

『自分』という存在が、
無力な 一存在という幻想から脱却し
命の根源である
という認識を取り戻すと、
あらゆる創造をも 可能としてゆきます。

この状態になると、『死・生』とい二元性をも 超えていますね。
肉体という自分の枠を超えた自己認識と、
この世あの世という世界観の枠にも、
もはや縛られていない状態となるので。


じゃあ
あらゆる創造をも 可能といてゆくなんて なんでもできちゃうじゃん(((◞( ・ิ౪・ิ)◟

結論からいうと、そういう事になるかと思います。

じゃあ なんでも思い通りの やりたい放題 叶えたい放題(m9 ^ิ౪^ิ)

結論だけで言えば そうなのだと思います。




でも 実際には 

それは 起こりません。


なぜなら、
あらゆる創造をも 可能としてゆく
状態とは
全生命と一体化した状態であり、
自我意識や 我欲から 完全に脱却している

状態だから☆。


こうした状態の人の  
行動 
思考 
想い 
は、
常に 自然の摂理に添っているものと 必然的になるため 
結果 自然の摂理や 正義に反するようなことは、必然的に 起きなくなっちゃうんですよね。



『命の根源である』という認識を取り戻すと、

創造の法則への理解も生じ、

会得もし、

あらゆる創造をも 

可能としてゆきますが、

こうした力を 行使することに 

こだわりは抱いていない
・・・というのでしょうか・・・。


生命の根源と一体化し 真理と共に在る人物となっては、
もはや すべてのカルマとも無関係になってしまうから
(カルマは 自我意識というものに 付着する性質なので、自我意識から完全に脱却してしまった世界には 存在できない)
あらゆる創造をも可能といてゆく状態でありながら、
その力を行使する必要性もまた ない
。。。。んですよね。


それでも 行使することがあるとするならば、
それは その必要性がある時のみ その霊力を 使用するのだと思います。

 それでも 実際は そのことを軽々しく口にしたり あからさまにしたりすら ほとんどしません。

傍目には 
ごく自然的な成り行きのようにみせたり
気づかれない巧妙さで
善(霊力)の行使を 行ってたりします。

安易に 霊の力を使用したり みせたりして、
いたずらに驚かせたり
我欲や 自我意識を 満たさせたり、
・・・
そのような活動は しません。

ただし、
たとえば・・・
・・・
霊の力を みせることによって、
『この世界は 物質的なものだけで成り立っているわけではなく、むしろ本質は 霊の世界なのだ』
と証明する必要性があれば
 『みせる』 という行使もします。


それでも同時に
肉眼でみせて信じさせること=魂の追求心を芽生えさせること
ではないことも理解しているので、
人間的好奇心や
欲望や 承認欲求を 
むやみに刺激し 発動させてしまわないよう

細心の注意を払いながら、
必要以上に 行使しないよう 注意を払っています 



私も完璧なんかじゃないので、
生きてゆくなかで 辛さを感じたり 息苦しさを感じたり 迷ったり して
耐え切れない(;´༎ຶД༎ຶ`)(と錯覚してしまう)ような場合も もちろんあるのですが。

そんな時 助けや 答えを求めてしまうこともあるのですが。

そんな場合でも
世俗的・利己的心を満たすための霊力の使用による叶え=魂の目覚め
ではないことも理解しているガイド達は
大抵の場合が だんまり(๑꒪⍘꒪๑)行為を取り(笑)、
自分をみつめるように 無言で 伝えてきます。。。꒪꒳꒪。

でも 後になって気づくのは、
 だんまり(๑꒪⍘꒪๑)
をしていた間も、
実は ずっと 常に
私が 乗り越え
 真に有益な成長 ができるようにと
光を 注ぎ続けて くれていたんですよね。

それを 口に出すことも
伝えてくることも ありませんが。


まぁ。。。
こんな感じの。。。

少なくとも、
私を導くガイド達含め、
私が
これまで触れてきた 
自分を知っている人達は 
そうでした。




●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



お知らせ

ブログでの活動、募集を長らく控えていましたが、
5月後半、もしくは6月から
ブログ募集による
セッション及び 講座を
再起動させてゆく考えています。

主な内容としては、

プラーナ講座

マインドフルネス
注:当時と内容変更が 若干あります
また  個人セッション

を予定しています。

詳しくは また場を改めて お伝えしてゆきます

ただ・・・
ブログでの募集は 久しぶりでもあり、
どのくらいの重要性があるのかも 私自身把握できてない状態です。

そこで、この『お知らせ』を読み、

 一歩踏み出してみたい方
興味を抱かれる方
がいらっしゃいましたら、

 ・ブログコメント
  または
・harmonydrop☆gmail.com (メールを送る時は☆を@にしてくださいね)
にて ご希望をお聞かせ願えれば、と思います


どうぞ 宜しくお願い致します


皆様との素敵なご縁を.。o○


ありがとうね☆ U^ェ^Uゝデヘヘヘッ・・・
新たな刺激のなかにいます


ご無沙汰してます~。

最近
色々と動いてる状況でして、
パソコン開く余裕もありませんでした○| ̄|_。

・・・・という状況が、もう少し続きそうです。


元々料理が好きで、
私にとっては『無』になるもののひとつの行為なのですが。

以前 とある食品商社の方に
『食(命を取り入れる)と 呼吸(生命と繋がる)と 性(命の交わり)を制したら 人生を制したも同じだ
と熱く言い 大笑いされ面白がられたことがありますが、
私にとってはその位 『食』に対しても 深い関心があることで。
この数年 『食』に関することも、細々としてたりしてたのですね。

そして2月からの数ヶ月間?、
とある 小さなお店の 厨房を 突然任されることになりまして。。。

3月からは 調理とカウンター ひとりで切り盛りです(*^_^*)。
月の10日程をね。

本格的な厨房にドキドキしながら、
自分の創ったものが お客様のお口に運ばれるのにドキドキしながら、
充実した時間を 過ごしています。

店に入る日は、
6時に自宅を出て
23時に帰宅する(まだ慣れてないから 時間的余裕をみて行動中です)・・・
そんなスケジュールです。


もうしばらくは
ブログの更新も 緩やかになってしまうかと思いますが、
時々(できれば毎日(/∀\*))思い出し、
応援していただけたら。。。。。し あ わ せ ~(〃ノωノ)と思います。

また5月以降を目安に
講座やセッション マインドフルネス
などの行動を考えています。
ブログで書ける内容にも限界があるので、
限界を外した場所での、お話などもしてゆきたく思っています。


というか・・・・
・・・・
・・・・ブログでの募集は かなりの久しぶりなので・・・・需要があるのかどうかすら
把握できない状態でもありますが(苦笑)。

機会をみて、
皆さんの希望を聞かせていただけたらと 思います☆。



というわけで、今日は 
困った時の 非公開過去記事 (笑) 
でゆきますね。


↓ 数年間 非公開のままだった過去記事です




一瞬の一瞬の選択を行い、自らの立ち位置を取り決めている、ということは今までも何度も書いてきました。

それは一見、
意識的問題だけのようにみえますが、
実はそうではなく、
脳の状態・瞬間的な働きが大きく関わっている・・・
ということに気づいたのは少し前(注:この記事を書いたのは10年程前になります)のことでした。





この瞬間瞬間の選択は、私達の普段何気ない行動の働きとよく似ています。

たとえば、
私達は普段当たり前に手を使い、歩き、おしゃべりをします。

その時、私達はひとつひとつの動き、もしくは動きに必要な働きを事細かに把握してはいません。

「歩く」という行為にしてみても、それはごく自然に行われている行為だと思います。

脳からどのような指令をどのように出して、どこの神経や筋肉をどのように動かし、
それによって右の足を数センチ出して・・・・・なんて認識していません。

歩こうとすれば後は体が自然に動いてくれる、というのが実際のところだと思います。

しかし、先程も書いたように「歩く」という行為の裏には実に様々で巧妙な働きがあります。


それでいながら、その精妙で繊細な働きをスムーズに行ってくれるのは、
「歩く」ということに必要な裏の働きルートが迷うことなく働いてくれるからです。

つまり「歩く」行為に必要な回線がきちんと出来上がっているからです。
この回線が上手くできていない場合、歩くことはとても難しい行為となります。
それは歩き始めて間もない、小さな子供を見ているとわかるかと思います。

しかし私達は、今ではいちいち考えずとも「歩く」ことがスムーズにできています。


同じ回路を何十回、何百回、何千回・・・・と使用してゆくことで、
回線が上手に出来上がっていったからです。



こうした回線を、私達の意識に置き換えてみることができます。

「歩く」という行為に慣れ親しんでいる私達にとって、「歩く」行為はもはや考えて行うものではありません。

その時体はごく自然的に動いてくれます。
いい意味で、習慣が、私達がいちいち考えなくとも動けるように、動作を導いてくれたのです。



これと全く同じことが、ココロの働きの面でもいえます。

一度電気が流れた回線は、一度も電気が流れたことのない回線よりも電気が流れやすい状態へとなっています。

ましてや何度も電気が流れた回線となれば、その回線はとても電気が流れやすい状態へとなっています。

回路の状態が良好であればあるほど、
道は通りやすい状態です。

そしてそれは「歩く」動作と同じように、
瞬時に、気づく間もないほどの速さで行われます。


私達はどの回線がどの時どのように使われたのかなんて、わかっていません。

しかしながらその回線は、自分の状態にとても忠実に正直に働くのです。






これが、いわゆる「瞬間瞬間の選択」です。

私達の根本で働くものが、この瞬間瞬間の選択を行い、自らの立ち位置を決定しこの現実を生み出しているということです。



面白いのは、私達の体と意識の働きはとても密接に関係しているということです。

それは、私達人間は肉体・心・スピリットが重なってはじめて人という形態になっているということです。

また、この肉体構造は驚く程に多くのヒントが隠されてもいます。

この肉体の働きには意識の働きと同じ働きがあるのです。

肉体の状態変化は心の意識変化と深く関わるのです。

また肉体細胞には私達が行ったこと、思ったことといったあらゆる記憶が刻み込まれており、
それは私達のとっさ的な行動・動作・思考に結びついています。

心と体には過去からの歴史がすべて刻み込まれていて、
さらに宇宙空間にも同じことが起きているのです。

宇宙と私達の体は、同じシステムなのです。

そうした歴史の記憶は、私達に大きな影響を与え繰り返させてしまう習性も併せ持っています。

ボディ・マインド・スピリットは、深く 深く 関わっているもの。


それは、
肉体の状態が変容することで、
意識の状態変容も生み出してゆけるということです。

肉体の状態を変化させることで、肉体を整えさせ浄化させてゆくことも可能。

それが人間の本来持つ生命力、自然性を高めさせ、
よりスムーズなマインドへの、スピリットへの
アクセスをもたらしもするのです。



では肉体の状態を変容させるとは、どうしたらいいのか。


それは新たな刺激を与えてあげることで
可能だということです。

必要に応じて新たな回路を生み出させる・・・

もしくは必要に応じて
習慣づいている今までの回線を休ませてあげることです。


習慣から離れ、新たな回路をもつということです。


これは意識的側面からアプローチすることも、もちろん可能です。

しかし、自らが意図的に新たな回線を生み出そうとするのは
なかなかの根気強さが必要とされる場合も多いです。

なぜならば、
目に見えない意識というものを、
見えにくくてわかりずらい+習慣づいた回線状態で
作業を行わなくてはならないからです。



だからわかりやすい肉体面からのアプローチをしてみる。

肉体に新たな刺激(電気パルス)を流し、必要に応じた働きを生み出させる。

そうして肉体の状態が変化すれば、
意識の状態にも変化が起きてゆく・・・ということです。







肉体に刺激がいくことで、ごく自然的に、意識にも同じ働きが起きてゆくのです。

そこから幾層にも重なる次元の扉を、自らが開くことができるようになるのです。

肉体もまた、全生命を生み出す根源のエネルギーからの落とし子。


その落とし子にはとてつもなく精妙な構造が与えられているのです。
ヒントが隠されているのです。

またその落とし子を深く覗いてゆけば、
ゆくゆくは必然的にその親元へと潜ってゆくことができるのです。


2006年も終わりに差し掛かった頃に起きた 自分の変化に、

脳の状態変化が大きく関わっていたことに気づいたのは

ずぶんと時間が経ってからのことでした。


それは当時の自分では全く想像もいていないことでした。


それはごく自然的な気づきとして起き、

同時に<願望実現>やら<引き寄せ>といわれるものも

実は、脳の状態が深く関わっているということに気づかせてくれたのでした。






たくさんの はっぴー を☆
じぶんを知っていた人たち2

真理(生命の根源)と同一化された状態でありながら、

この社会(現象界)における 人間としての営みの中に身を置き、

世間的な責務を しっかりと果たしながらも

世間に感化され 染まることなく、

常に真理(すべては同じ源からうまれている 本質的に一体という認識)

の手足として、

自己の役割を演じてゆく


・・・・・・


一方で
社会的な営みからは離れ 人前にもほとんど姿を現さず ひっそりと
目立たず過ごすことを 自己の役割として受け入れる人たちも います。
いわゆる・・・・仙人みたいな、感じかな。


この現象界の仕組みへの理解が深まり、
時間や空間の観念からも開放されると、
時間や空間 物質にはもはや囚われない、
それらを超えた活動も可能とし、できるようになります。

もう少し述べると、

時間や空間の観念への理解が深まり 

一定レベルを超え 

完全に脱却すると、

過去生や前世といったものの効力も 

働かなく(無力) なります。 



。。。これは どう書けばいいのかな。。。

・・・過去・・

・・過去生・・・

・・前世・・・

・・・・・とか以前に、

時間の観念を超越し、

・・『過去』は 存在しない

・・という 領域レベルに 意識が到達し 達観してしまってる・・・

わけなので・・・

・・・そもそも 活動ないものからの・・・

・・・影響の 受けようも無い・・・

・・・というのか・・・(上手く表現できましぇん・・○| ̄|_)




・・・・なんだか 怪しい物言いですが・・・(。-_-。)。




こうした状態でもある彼ら 彼女らは
もはや地球のどこに居ようと なにをしていようと なににも縛られず
自由に移動でき、

この現象界も 霊の世界の一部であることを理解している彼ら 彼女らは
必要なものは 空気中にあるプラーナ(生命の源)
赤血球5
↑ まんまるに見えるプラーナはこんな感じ
を利用し物質化させ 活動をします。



・・・・とてつもなく 怪しい物言いですが・・・(((;◔ᴗ◔;)))。



けれど これは決してオカルトチックな話ではなく、
科学的なもの、
もしくは科学的なものとして 
取り扱われるべきものと、私は思っています。


プラーナとは もはや視覚で捉えることも可能な時代であり、

そこには すべての創造の情報があり 叡智があり、

これを正しく 取り込めるようになると、

自ずと  ごく自然に

あらゆる創造の情報と 叡智に

触れることが できます。

ただし 

この とてつもない 圧倒的なパワーと 叡智を 取り込むには、

受容する側の 条件・・、 状態が 必要と なります。

その条件に関しては、

マニュアル化して 言えるようなものではなく、

口頭や 文字での表現に 限界と危険があるので、

ここでは、これ以上の内容は 省略しますが。



ただこうしたことは 遠い昔から

一部では 熟知されていたものだったと

受け取れる痕跡は あちらこちらに あります。


曼荼羅という図にしても、

ヨガや気功 にしても。





生命エネルギーは

すべての基本原子であり、

波動であり、

全生命の根源です。



これを自由自在に集結させ、
卵子と精子の関係のように 意思(想念)を吹き込むことで 
物質化が起こります。

これはなにも特別なことではなく、
私たちの日常の現象、社会現象にも 現れていることです。

ただその多くが無意識に行われていて、気づいていないだけです。


物質的な視点では、
・・思うだけ、
・・考えただけ、
・・感じただけ、
では 相手に伝わらないものですが、

霊的視点では、
・・思ったこと
・・感じたこと
・・考えたこと
も 立派な生命活動なので 

卵子と精子の受精じゃないですが、
空中に無限に漂う 無のプラーナ意思(想念) が受精され、
それがある一定の域を超えると 現象化されるように なる

・・・と、私は感じてます(^-^)。


つまりは、
この世も あの世も 基本は同じ原理で できているということです。



この世は 物質世界

あの世は 霊(想念)の世界

という表現は 
間違ってはいないけれど、誤解も生みやすく、

それぞれの世界は 
異なるもので
 異なる場所に 
個別にあるもの

・・・かのような錯覚を与えますが。

この世と あの世は ふたつに区切られているものでもないし。

現象の基本構造・・・原理は 同じ。


これを正しく理解でき、
この世界も 霊の世界なのだという 認識ができると

重力の抵抗からも開放され、
意図的に
即座的に 
物質化も
ふたつの場所で 同時に出現するとか 

あらゆることが
可能とすることが できるという・・・


・・・・とんでもなく 怪しい物言いですが・・・(;´༎ຶٹ༎ຶ`)。



もっと身近には、
これは 私たちの肉体においても 同様のことがいえます。

とある感情 思考が製造され続け 
一定の域を超えると
 肉体という物質へ
物質化して現れるようになります。


おまけに
 物質的には
 この空間は
 ひとつの層の空間にみえますが、

実際には
 たくさんの層からなっており、
 ひとつの空間に
 それぞれの次元が 重なり合っていて
 それぞれのレベルでの 活動 が行われてます



私たちは当たり前のように 
 他者と 同じ空間にいると思いがちですが、

実際は
 視覚で捉えられる範囲内の 微妙さで
 ひとり ひとりの 存在している次元は
 異なっていて、

それが故に 
 捉え方のすれ違いや
 感じ方の個性 が生じ、

視覚には映る範囲の 微妙な異なり差ではあっても、
 その範囲内で大きく異なっていれば
  違和感を感じたり
 自然と離れる現象が起き、

微妙にことなってる範囲内でも
 近ければ、居心地がよく感じ、共通感も
 大きく感じます。

いわゆる 『波長の法則』 に値するものかな。 


存在している次元が
 微妙に ひとりひとり 異なっている。

だから 完璧に理解し合えなくても 
 それが ある意味自然であり、

だからこそ
 それぞれの存在している世界を尊重し、
 赦しあったり
 受け入れあったり 
・・・そんなことが 大切で、 
  心も 魂も 成長させているのでしょうね。



あぁ・・・(,,꒪꒫꒪,,)
結局 書きたいことが 書けたような 書けなかったような。。。
脱線ばかりの内容で 長くなってしまった。。。○| ̄|_



続きは 次回に ・*・:≡( ε:)

あ ちなみに
 
なにもない空間に 物質(香・移動・透視等含め)を生み出したから
すごい!・霊性が高い人
というのは 違います꒰・◡・๑꒱



今日も ありがと
じぶんを知っていた人たち1



人間という 肉体の器にありながら 己の本質を見失わず 真理とともに生きた人


社会的地位や
信条 
人種 
性別
民族・・・等々
に関する 偏りの目を開放し ただ同胞愛の元に たたずむ。

歴史をみると そんな人達が時折現れていたことを 知ることがあります。

生命の根源との 完全なる一致が常にあり、
「すべては ひとつであり わたし」
という理解と 深い信頼に満たされている人の日常は 
常に 自然の摂理に対する 深い信頼に浸され 
いかなる境遇にあっても
外側のさまざまな現象に 惑わされることが なくなってゆく特徴があります。

そうした人たちの日常の行為、体験は 常に
「すべては わたし・すべては ひとつ」
という真理が 表現され続け・・・

たとえば
『非暴力・不服従』
の精神を貫き通した マハトーマガンジーのブレない精神には、
自然の摂理(平等・正義・全知・愛)に対する 
絶対的な信頼が あったように感じます



ちなみに
霊的能力と 霊性の高さは全くの別物で 必ずしも比例しているものではない
ので、真理の表現に・・・いわゆる奇跡的なことが 行使されるとは限りません

とはいえ
生命の根源と合一された状態になると、
意図する しないに関わらず、ごく自然と 摂理にそった霊の力が働くのものです。

環境による影響や 外側の作用による影響を受ける度合いは少なくなり、
どこにいようと なにが起きようと 動じる度合いは少なくなる反面、
自分の霊的波動によって 
あらゆるものに働きかける力は増し、
そうした人物が

目にするもの
触れるもの
言葉
歩く場所
想うもの

には 
ごく自然に、平等・正義・愛 の力が流れてゆきます。

普通に触れていても 魂が揺さぶられるような まばゆい光が、あらわれるのを目にし 驚いたことがあります。

また 自分の持つ影響力を理解している覚者たちは、
自分が瞳に映すもの
口から出す音
想い
の効力を素直に認め、
なかには 言葉を発することを 意図的に自粛する人もいる程に、
 常に 自分の行為に 細心の注意を払い 
責任を持ち 行動してもいます。




・・・

・・・・

・・・・・・

って・・・この文章 まとまってるかな(笑)。


キーボードを打っている最中に なんと説明すればいいのか・・・
感覚がいろいろときてしまって・・・_(゜U。」 ∠)_


どこからまとめてゆけばいいのか・・・


とりあえず、
今回書こうと思っていたところまで書いたら、
一旦 締めますね。。。。。(≡人≡;)スィマセン…
 

******************************


『あなたの中の最良のものを』

人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行なうと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行ないなさい

目的を達しようとするとき
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい

善い行ないをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、世に与えなさい
けり返されるかもしれません
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです
あなたと他の人の間であったことは一度もなかったのです


******************************

これは マザーテレサの言葉のひとつで、
見聞きしたことのある方も 多いかと思います。

自分の感覚に自信もなく、
謙虚というよりは 自己卑下に近い(笑)程 
周りの視線を気にしていた頃の私は、
はじめてこの言葉を目にした時 随分と勇気づけられました。

こんなふうに言葉で 人を勇気づけ、労わり 肯定し 後押ししてくれる マザーテレサの存在が、
眩しくも映りました。

また当時は、この言葉は
外側(人)に向けて 発せられた言葉
なのだと 受け止めていました。

けれど長い月日が経ち
ふと この言葉を思い返した時に、それまでとは異なる感覚が 起きたんですよね。

この言葉は
外側(人)に向けて 発せられた言葉ではなく、 
他者との関係 他者のことを述べているのでなく

マザーテレサ自身の 内部(マインド・自我意識)との関わり方について 述べていたのではないか
と。

たとえ真理を会得し 生命の根源と一体した状態であっても
自我意識の生み出すこの社会に混じり 己を見失わずに活動してゆくというのは とても大変なことです。

自分のなかに 波風が起こることも 防げない時があります。

 自分のなかに 時折起こる 疑いや 痛みや 怒り 、
自分のなかで 葛藤する出来事・・・

・・・時に 自分のなかの そられに遭遇しても

それに構わず 気にせず 惑わされず、

自分の根源部分・・・聖なる意識へと 常に目を合わせ 

行いを続けてゆきなさい・・・

そう自分自身に 伝えていたように 思えたのです。

それが最後の
最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです
あなたと他の人の間であったことは一度もなかったのです


という言葉に 集約されているのでは ないか・・・と

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

絶対的な真理(生命の根源)と 同一化された状態の者は
この現象界における 人間としての営みのなかに身を置き 社会的な義務を果たしながら、
世間に感化され 染まることなく 
常に 絶対的真理の元に 自己の役割を 演じてゆく

どこにいようとも
この社会の どんな仕事をしていようとも
そのことが 霊性の表現に 縛りを与えることはない

しかしそれは
一切の感情や心の動きを失ったこととは 異なる

戸惑い 葛藤 
時に怒り
喜び

そうしたものも きちんと感じていたのだ

むしろ
『人間を含めた生命は 本質的に一体で 同じ源から 誕生している』
認識の元にありながら 
争いの数々を目にすることは、
それに気づかない者たちよりも 
胸に感じる痛み 悲しみは はるかに深かったとすらいえよう

彼ら 彼女らとて 人間としての弱さも 重ね抱いていたのだ

しかし それ以上に 彼ら彼女らには
生命の根源への ひたむきな愛 信頼があり
それは 物質界のどんな現象をも超えさせ 
どんな逆境においても 
それらより はるかに強く 
彼 彼女らを 満たしていた 


 直向きな愛 信頼が 常に勝り続けており 
また 努力していたのだ 

すべては 人々に 
『人間としての 生き方・在り方』
をみせることで 
誰もがその可能性を宿し 抱いている

すべての生命は 同胞 家族であり

わたしにできることは あなたにも できる

と伝えるために





の言葉は 過去にわたしが挫けそうな時 何度も何度も 伝えられた ものでもあるのですが。

その度に

伝えてる内容は とてもよくわかるよ。
わかるけど・・・・わかるけどさ・・・・
イエスとかの人物を毎回例に出されても・・・・リアル感があるような。。。 ないような・・・(T_T)。

もうちょっとこう。。。。。
「人間という 肉体の器にありながら 己の本質を見失わず 真理とともに生きる」
ことの実現の可能性を・・・・ 身近で リアルには・・・感じさせては もらえないものでしょうか・・・


と 思っていたものです

寒い日が 続いてるね
つぶやき ~求めて~2
すべては 本質的に一体で 同じ源から生まれている


生命の根源である 自然の摂理は
常に 平等であり 全知であり 不滅であり 正義であり 愛 です

すべては平等に 

適切な時期に 

適切な方法 形で

働く。


ただ この認識や理解は 観念や知識で得られるものではなく。

言葉や 形式的ななにかで 伝えられるものでもなく。

・・・・なく

・・・・なく・・・


伝えられる方法は

私にできることは

・・・・全生命の根源(絶対的な真理) と同一化した状態である

ことなんですよね。

それが 新たなカルマを生み出すことのない 自然な方法。

なにかをしようとか 
伝えようとか 
与えようとか

そんなことは 必要なく。





「争いのないせかい」
それが不可能ではない ことを知ったのは ひとつの とある体験でした。

ずっと抱き続けながらも、答えのでないこの疑問への 
焦り
虚しさ
無力感
自分が存在していることへの疑問

そんなものに襲われながらも
消えることのない ひたむきな問いかけ

そんな日々のなかで ある時現れた 巨大な とてつもなく巨大な光。

突然 呼吸が止まったかのような感覚が襲い 瞬時に肉体の感覚が消え
果てしなく広がる 無の空間 へと佇んでいることに気づき

私がみたもの。

想像を超えた
それを体験するまでは、想像することも不可能な
想像を絶する
巨大な ひかりでした。

遥か遠くから
ゆっくりと
私の方へ向かってくるその圧倒的な光は、
遥か遠い その場所からでも 
瞬時に 私の思考 五感・・・ すべての感覚を 静止させてしまいました。

静寂な中に とめどなく襲ってくる 至福の感覚は
崇高な輝きは 
私のなかの あらゆる詰まりを 瞬時に昇華させ、
私はそれを体感しながら
自然と溢れ出る 至福の涙と共に 両手を ただ静かに合わせていました。

目の前へと ゆっくりと近づいてきた その光は

幾重にも 幾重にも 押寄せる 至福の波 は
私を 完全な恍惚状態へとさせ、
想像を絶した 内的喜びを 与えてくれました。


私が なにを ずっと求めていたのか その時 知りました。

”どうか私を飲み込み 同一化させてください”

至福の状態のなかで 私はそう願いました。

しかし光は 私の願いは聞き入れず ゆっくりと私の前から離れ

再び 私の意識は 肉体へ戻り

深い悲しみと 

まだ しっかりと残っている あの光の感覚と共に  

瞼を 開けたのでした。
 

あの ひかりは

どんな言葉を用いても

表現することができなくて もどかしいのですが。

ただ その光を知ったことで、
私のなかには いくつかの 確固たるものが うまれました。

すべては 一元性であること

すべては ひとつであること

私たちが 本当に求めている  満たしてくれるものとはなにか

それを体感したとき 

争い という観念は 消え去るということ


また 
「あのひかりの ひと滴でも・・・欠片の欠片の その欠片でもいいから わたしは なりたい
 それがどんなに遠く 不可能と思えるものだとしても。
 たとえこの人生で 実現することができなかったとしても、
 決して 諦めない」
という 強い衝動が 湧き上がりました。



あれから 約15年・・・
実をいうと、
1カ月ほど前に 2度目の その光に 遭遇する機会を与えられたんですね。
ゆっくりと 再び 私の前を 通り過ぎてゆきました。

もう少し詳しく述べると、
1度目の時も 2度目の時も、
どこまでも広がる 無の空間には、私以外の人の存在も ありました。

私以外に 1~5名位。
そのなかには
ひかりに吸収された人。
まだベストなタイミングではなく  光が通り過ぎる人。

どちらにしても、
地上への 霊的な働きかけは 常に行われているのだと 知ることもできました。 



人間という 肉体の器にありながら 己の本質を見失わず 真理とともに生きた人

マザー・テレサ ガンジー  イエス・キリスト
。。。歴史には それを体現した人物がいて。


といっても、
 全生命の根源(絶対的な真理) と同一化した状態
の人は、歴史に名を残すとは限らなくて。


ごく普通に、社会や世間にひっそりと混じっている人

社会や世間から離れ ひっそりと篭り生活している人

それぞれの担っている役割により、
表現の仕方も異なっています。



次回はもう少し、この辺を書いてみたいと思います。


o(__*)Zzz今日は寝ます
つぶやき ~求めて~1
つぶやきです。

    幼少期から、自分がずっと探し求めていたもの 編


「争いのない世界」

世界的な視点でみれば、
戦争 事件 貧富 差別

身近な視点では
陰口 イジメ 暴力(想いの暴力含め)

そうしたものが存在していることに 悲しみと違和感が拭えない 幼少期でした。

なぜそれらが 行われるのだろう

なぜそれらが あるのだろう

なぜ 人と人が争うのだろう

なぜ命と命が 奪い合うのだろう

どうしたらそれらは なくなるのだろう


その問いかけが消えたことは なかったといえます。


争いや痛みのない世界は 不可能なのか。

それらがない世界を求めるのは 夢事なのだろうか。


実際
『それを求めるは夢事 理想事だ』
と 耳にタコができる程 人に言われてもきました。

『優しすぎるのは傷つくだけだ』
と 聞き飽きる程 心配され注意も受けてきました。

それでも 争いの湯船に身を委ね 生きる位なら 生きることをやめた方がいい と
頑なに自分を貫き通し 
結果 とても世渡り下手な こんな人間に なってしまいました_(:□ 」∠)_。




ふたつめの ずっと探していたもの

「永遠」
小さい頃は 
永遠がある
と なんの疑いも抱いてはいませんでした。

けれども成長するに従い そうではないことに 気づいてゆきました。
特に 恋も知らない幼き頃は、恋愛本など読むと

強い愛を誓った男女の気持ちが変化する 

生涯の信頼を約束した感情が 変化する

ことに謎だらけで 悲しみだらけで仕方なかった(笑)。

すべては絶えず変化し続けてゆくという この世界で、
決して揺るぐことのない
 絶対的な信頼の置けるもの 
永遠はどこにあるのだろう

それを 探し求めていました。

結果 とんでもない量の痛みを 味わいもしました_:(´ཀ`」 ∠):_ … 。




みっつめの ずっと探していたもの
「じぶん」

ずっと「じぶん」が謎でした。

「私」とは なんなのだろう

この生の 名前がつく前の「じぶん」とは

この生を受ける前の 「じぶん」とは

「心」に「じぶん」があるのか、

ずっとずっと続いてきた「じぶん」
 「じぶん」とは なんなのだろう

この疑問は 小学中学年時期から思春期に向け どんどん強まっていった疑問でした。

答えを探して 沢山の大人に尋ね、沢山の本も手にしました。

結果 どこからも答えが得られず 答えを求めたさらなる旅へと 

早々に親元を離れることとなりました(:3っ)っ 三=ー。





と、こんな感じで・・・
・・・・この3つの疑問を抱き、
 模索し 葛藤し 探求してきたのが私の人生・・・
・・・とすらいえる程、
この3つへの探究心は どうしようもない衝動であり
 常に 切り離すことのできないものでした。







何度も書いているように、
この世界に起きる現象は 幻想であり錯覚です。

それが故に この世界の現象は うつろい 儚い 変化する という性質を抱えています。

『諸行無常』
という言葉も ありますね。

けれどそれは 嘆き悲しむことではなく、
一方で 救いと創造の性質も抱いてもいます。

常に変化するこの世界だからこそ やり直すチャンスも掴め、
 常に変化するこの世界だからこそ 今この時を大切に 精一杯生きるチャンスも得られる、という性質。

また この世界の現象が幻想 錯覚であるとはいえ、
これらもまた
 『全生命の根源』 
の息吹です。

ありとあらゆるもの・・・
 現象 物 場所 想い 空間  
すべては ひとつの場所から はじまっているものであり 
すべてには その根源の息吹が 流れています。

すべては 全生命の根源の 活動 観念 想念 であり、

八百万の神々

キリスト意識

「皆 兄弟姉妹」
「汝自身を知れ」

表現は異なれど 伝えている基本は同じであり、
そこに「永遠」「じぶん」
があり、「わたしは なにものか」

への答えがあり、

すべては 本質的に一体で 同じ源から生まれている

これは 揺るがない 真実であり 真理であり 不動の原理です。


真理は 至ってシンプルであり 単純でありながら、
それを取り巻く もろもろのものは とても複雑です。

しかし 
複雑といえども、生命の根源である自然の摂理は
常に 平等であり 全知であり 不滅であり 正義であり 愛 です

すべては平等に 

適切な時期に 

適切な方法 形で

働くように なっています。



この真理と 摂理への 深い認識と理解は 平和への道を 自然と生じさせます。

そして この真実を手にした人の
瞳は
仕草は 
言葉は

深い自信と 
真の ポジティブシンキング・・揺るがない信頼と
赦しの微笑みに 満ち溢れるようになります。


ただ この認識や理解は 観念や知識で得られるものではなく。

言葉や 形式的ななにかで 伝えられるものでもなく。

・・・・なく

・・・・なく・・・





・・・・ここで 長い間 私は躓いているわけですが。。。




・・・・・・というところで、一旦区切ります


お願いします☆

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